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キヤノンF-1を売り払って、それで一眼レフとは訣別したつもりになっていたのだけど、ペンタックスのSLを衝動買いしてしまった。

有名な(そしてどこの中古カメラ屋でも飽和状態にある)「SP」から、メーター機構を省いた廉価版が「SL」だ。

この、「省いた」というところがいいじゃないか。要らないものは取り去っちまうに限る。クルマだって、内装引っぺがして、後部座席も外して、ついでに車高落としてネガティブキャンバーつけたようなのがカッコいいのだ(お里が知れますね)。

しかも色は黒。もちろん「塗り」だから、あちこち真鍮の地が見えている。ペンタ部に大きなアタリあり。正面から見てレンズ右側のグッタペルカがまるごと欠損。その佇まいに惚れた。

しかしペンタックスのSシリーズは本当にいいね。正直、キヤノンF-1なんかよりよっぽど使いやすいカメラだと思うよ。
Pentax SL + Tessar 50mm F2.8 (with close-up filter, Tri-X)



「オイ」

「オイ」

「コッチダヨ」

ココニ立ッテ30年ニナルケド、20年前ニヒトリダケ、ボクノ言葉ガ分カルヤツガイタ。

アレハ嬉シカッタナ。

デモソイツモ、中学生ニナッタコロカラ、ボクノ前ヲ素通リスルヨウニナッタ。

今デモソイツハ、僕ノ前ヲ通ル。ネクタイ締メテサ。書類カバン持ッテサ。

ソシテ時々、ボクノコトヲ、悲シイ顔デジット見ツメルンダヨ。

アレハ辛イネ。
Leica M3 + Xenon 50mm F1.9 (100TMX)



写真っていうのは道具を使わなくては出来ないものであるからして、当然、道具は大事なんです。だから僕も、どんな機材・感材を使ったか、いちおう書いている。こんなところからだって話題が広がる。

でもその一方で、機材は黒子(「くろこ」ね。「ほくろ」じゃないからね)みたいなもので、それには触れちゃいけない、というのがお約束でもあるようだ。

海外の写真家に対して「あの写真はどんな機材で撮ったのか」なんて質問をすると、鼻で笑われるか、「はァ?」って顔をされておしまいだという話を聞いた。言われてみれば、日本人写真家の写真集には使用機材と露出データが載っているのが当たり前だけど、海外の写真家だとまずお目にかからない。せいぜい「すべてニコンで撮った」とか、「〜以来、ずっとライカを使っている」とか、そんな程度だ。

まあ、ピカソに対して「あの絵は何号の筆を使って描いたのか?」なんて訊いても、そら、バカにされますわな。
Leica M3 + P. Angenieux 35mm F2.5 (TMX100)



ダークバッグに両手を突っ込んでいると、もうそれだけで暑くてねー。額から汗がポタポタ垂れるは、それを拭きたくても拭けないはで、だんだんイライラしてきて、ついつい仕事が投げやりになってしまう。

まあ、僕は「何かにじっくりと取り組む」というより、エイヤッ!で無理矢理終わらせる短気な人間なので(これは誰に聞いても同じ答えが返ってくる「わたし評」だ)、そもそもこういう作業には向いてないのだとも言える。まったく面倒臭いことを覚えてしまったものだ。

そんなわけで、二人の体に仲良く一つずつ、三日月型の傷跡をつけてしまった。これはリールに巻く時に出来た、フィルムの皺。

この例えは大嫌いなんだけど、写真は「真実を写す」と書く。僕の気の短さも、ここにしっかり写っているというわけだ。

せっかくいい写真が撮れたと思うのだけど。ごめんよ、MさんとMさん。
PLAUBEL makina67 / Nikkor 80mm F2.8 (100TMX)



僕らが誰かの生き方に勇気づけられるのは、そいつが何でも上手にこなしてしまうからではない。

泥沼に首まで浸かりながら、それでもなお自分と自分の未来を信じて必死にもがき続ける、そのブザマな姿に自分を重ねる。生まれてから、今この瞬間に至るまでの「自分のあり方」を重ねて、そして共感すると同時にある種の羨望を覚える、それが「勇気づけられる」だ。

今、野茂が必死にもがいている。

野茂は極端に口数が少ない人間だけど、彼の言葉で強烈に印象に残っているものがある。

「僕は楽をするためにここ(メジャーリーグ)に来たわけじゃない」

もちろんこれは、自分の仕事が思うように行っていない時の台詞だ。しかしこの言葉は深い。負けの宣言であると同時に、未来の自分への宣戦布告だ。だから野茂は、日本人大リーガーの先駆者となった。今、この台詞を胸を張って堂々と言える人が一体どのくらいいることか。「ここ」をあなたの会社や学校に置き換えてみれば分かる。

きっと野茂は復活する。この世がそういう場所であって欲しい。
Pentax SL + Tessar 50mm F2.8 (with close-up filter, Tri-X)



しかしまあ、こうアッチーと写真撮りに出かける気にもなりませんわな。「写真を撮る」と言っても、それに費やす時間の殆どはただ歩いているだけだ。この炎天下に!

ついこの間、宮里藍選手の父親のゴルフ教育の話をテレビでやっていて、なるほどと思った。

3日間にわたるゲームであっても、「純粋にゴルフをやっている時間」、つまりスイングに費やす時間はトータルで数分しかない。あとの時間は何をしているかというと、ただひたすら「考えている」わけだ。ということは、ゴルフというのは「考えることを競う」スポーツということになり、つまり「考え方」が正しければ確実に勝てるということになる。勝てないのはスイングが悪いからでもなく、クラブの選択を間違えたからでもなく、そこに行き着くまでの「考え方」が間違っていたからだ、と。この「考える力」のことを宮里父は「静筋」と呼んでいた。

写真を撮るのもそれと似たようなものだ。

例えば写真を撮るために晴れた日中を5時間歩き回って、そこで2本のフィルムを消費したとしよう(これは寡作な私の標準的なペースだ)。この時、実際に「写真を撮っている」(フィルムに露光させている)のは合計で僅か0.14秒でしかない。露出を考えたり、構図を考えたりするのに1枚あたり5秒かかったとしても、合計で6分だ。あとの4時間54分は「ただ歩き回っているだけ」の時間だ。

ただし上のゴルフの例と決定的に違うのは、この4時間54分は「別に何も考えちゃいない」ということ。なんたる時間の無駄遣い!

とは言え、僕はプロの写真家ではないし、誰かと写真の出来を競っているわけでもないから、そこに効率など求めてはいない。そもそも写真は「歩き回ること」の副産物みたいなもので、歩き回ることそれ自体が楽しいから、時間はあっという間に過ぎていく。

さっき、「何も考えちゃいない」と書いたけれど、実際には昼飯は何を食おうかとか、あーきれいな女の人だなあとか、ちょっとスカートが短か過ぎるんじゃないかとか、どっかに100万円落ちてねぇかなあとか、いろいろ考えることはあって結構忙しい。

無益な時間を過ごせばいい写真が撮れるというわけではもちろんないけれど、ただ歩き回ることによってのみ得られるのがスナップ写真であるからして、僕は何の疑いも持たずに、これからもこの時間の無駄遣いをし続けるんだろう。
Canon F-1 + SMC Takumar 135mm F3.5 (Tri-X)



どんちゃん騒ぎが終わって、みんな家に帰っていく。屑かごを蹴飛ばしたり、電信柱に小便をしたりしながら、家に帰っていく。

今夜はみんな、まっすぐ家に帰って、気持ちの良いベッドに潜り込むのだろう。

夏はいつも、そんな風にして秋になる。
Leica IIIb + Elmar 5cm F3.5 (TMX100)



家に帰ると、Amazon.co.jpからCDが届いていた。中身はウエス・モンゴメリとブロンディという、メチャクチャな取り合わせ。

発泡酒のCMで "The tide is high" がしきりに流れている。

The tide is high but I'm holding on
I'm gonna be your number one

という歌詞で、あのレゲエ風のリズムが思い浮かぶかどうか。

CMのは沖縄の歌手だそうだが、僕にとって "The tide is high" と言えば、それはブロンディのバージョンだ。そう思ったら無性に聴きたくなって、止まらなくなった。中学生の時に買ったLPがあるはずだが、何度探しても見つからない。暗い押入れに頭を突っ込んで、顔を不自然に傾けながら一枚一枚のLPのタイトルを見ていたら、色んなことを思い出した。

僕が中学生の頃、渋谷にタワーレコードが出来た。まだ東急ハンズの裏にあったタワーレコードに、僕はこづかいを握り締めてよく通った。当時、中野区に住んでいた僕は、渋谷まで片道1時間の道をチャリンコで行った。バス賃がもったいないからだ。店内は輸入盤特有の、有機的な、だけどどことなく甘い匂いに満たされて、それを胸いっぱいに吸い込むと気分が高揚した。あれはまさに、「海の向こうの音楽の匂い」だった。そんな中で、買うレコードを何時間もかけて吟味する。

レコードを何枚もまとめて買うなんて、「大人になったらいつかやってみたいこと」の最たるものだった。今ほど音楽(特に洋楽)は生活の中に溢れていなかったし、試聴なんていう便利なシステムもなかった。FMから流れてきたほんの一瞬の音や、雑誌に書かれているわずか数行のレコード評を頼りに、買うレコードを1枚だけ決める。それはもう、「賭け」以外の何物でもなかった。

その割には「ジャケ買い」も時々やった記憶がある。FREEとか、Johnny Winter、Rolly Garagherなんかはそうして好きになった。

"The tide is high" が収録されているブロンディの「Autoamerican」も、ある意味、ジャケ買いだった。既にヒットしていた "Call me" の入っている方ではなく、こっちを買ったのは、デボラ・ハリーの、ミニスカートから気持ちよく伸びた脚に心奪われたからだ。しかもそれは「絵」だっていうのに!

僕もいたいけな中学生だった。
Leica IIIb + Elmar 5cm F3.5 (100TMX)



壊れやすいと評判のカメラを、しかもあまりお手頃とはいえない値段で買ったりすると、どうしても過保護に扱ってしまう。そうやって接していること自体がだんだん自分の中でフラストレーションになってきて、ある日、こう思うのだ。

「俺はなんでカメラに気ィ使ってんだ?」

そうなると話は早い。今までの過保護を取り戻すかのようにガンガン使ってやる。ボディの傷なんて、ヘッ!気にしない。恐る恐るやってた巻上げだって(ここがウィークポイントなんでね)、力を入れて、一気に巻き上げてやる。そう、ビデオの中でアラーキーがしていたみたいに。

「お前、所詮ただのカメラだろが。ここで壊れたら承知しねぇからな!」と念じる一方で、どうしたら壊れるのか見極めたい気持ちもちょっと。ま、壊れたら直せばいいのだ。直せる人はまだご存命みたいだし。

そうやって使ってやった方が、カメラも喜んでいるような気がする。これはカメラに限らず、すべての道具に言えること。
PLAUBEL makina67 + Nikkor 80mm F2.8 (Tri-X)



いいじゃないですか、絵に描いたような幸せじゃなくても。

まずは、「自分は不幸だ」なんて考えるのをやめるところから始めましょうよ。
PLAUBEL makina67 / Nikkor 80mm F2.8 (100TMX)


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