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ライカのM5っていうカメラは、70年代前半のヨーロッパそのもののカメラだ。

「だ。」なんて言ってしまったけれど、もちろん僕は70年代のヨーロッパなんて知らない。そういう感じがするだけ。

今、M3を見てもそこに50年代は感じないし、M6に80年代を感じることもない。それなのに、どうしてM5だけにそういう時代性のようなものを感じるのか?その答えは簡単だね。M型ライカの歴史の中で、一羽だけ生まれてしまった、「みにくいアヒルの子」だからだ。そして、みにくいアヒルの子が実は只者ではなかったという点で、このカメラはあの物語と似ている・・・と、これは実際に使ってみた上での個人的な感想。

ただし決定的に違うのは、アチラは「実は白鳥だった」という、鮮やかな「サヨナラ満塁ホームラン」が用意されているのに対し、M5は「空振り三振〜振り逃げで出塁」ぐらいの地味さに甘んじていることか。

田中長徳が70年代にウィーンで撮った写真の中に、M5を持った紳士が画面の端にたまたま写りこんでいるのを見つけた。その紳士は、ソフト帽を被って上品なツィードのジャケットを着ている。M5を縦にして小脇に抱え、(おそらく)足早に歩いている。

僕が今までに見た中で、M5が一番似合うのが、この人だ。
Leica M5 + Summilux 50mm F1.4 (TX)



fate; karma
EXCEED 和英辞典(三省堂)より

人と人を結ぶ、人力を超えた不思議な力。巡り合わせ。
大辞林 第二版(三省堂)より
Leica M5 + Summar 5cm F2 (TX)



朧月夜。

夜明けまであと2時間。

遠くで鴉が短く鳴いた。

猫が道を横切る。

微かに煙草の匂い。

誰かが、僕のことをじっと見ている。
PLAUBEL makina67 / Nikkor 80mm F2.8 (TMY)



僕の写真を「寂しい」と評してくれた人がいて、僕はそれを聞いて嬉しく思った。

最後にはたった一人で、知恵を働かせて生きていかなければならない。人間とはそもそも寂しい動物なのだ。「あなたは写真で何を表現したいのですか?」と問われたら、そういう寂しさのようなもの、と答える。

でもそれは、心を許せる友達がいないとか、家族の愛に恵まれないとか、そういう分かりやすい「寂しさ」の話ではない。小魚のように群れて生きることを強いられているわけではない。二本の足で、誰にも頼らずに自立して、その気になればどこまでだって歩いて行ける。そういう人間の、うらはらの寂しさ。

強く生きるということは、内に途方も無い寂しさを秘めるということでもある。
Leica M5 + Summilux 50mm F1.4 (TX)



人生の色んな節目で、僕は海を見てきたように思う。その海の色をもう一度、目の前に順番に並べることができたら、一体どんなカラーチャートができるのだろうか。

モノクロ写真ばかり撮っていると、逆に色彩に敏感になる。でも不思議なのは、それを記録に残そうなんてこれっぽちも思わないことだ。

もういちど、時計を巻き戻して確認したい海の色が、やはりある。
Leica MP + Summilux 50mm F1.4 (TX)



湿った風を頬で感じながら、

雨の音を聴いて過ごしましょう。

わざと水溜りを選んで、

傘もささずに歩きましょう。
Leica MP + Summilux 50mm F1.4 (TX)



9月の下旬にドイツのケムニッツという街で行う写真展のプリントを、今朝、船便で送り出した。

現地に到着するのはおよそ2ヵ月後。まるまるひと夏を、僕の写真たちは海の上で過ごす。まだまだ青い、やや出来損ないの写真が、船倉で熟成されて、向こうにつく頃には丁度いい塩梅になっているというわけ。

15点出展するうち、3点は既にここでお見せしたことがあるもの。残りはまだ誰にも見せたことがない写真。

使った機材で言うと、一番多いのは意外にもマキナ67で撮ったもので、半分近くがこれ。割と最近導入したばかりのライカM5とエルマー3.5cmの組み合わせも、1点だけ入った。

写真そのものは、まあ、どこから見ても僕の写真だよ。サプライズとか、イメージチェンジとか、そんなのはない。あるハズがない。

現地の人は僕の写真をどんな風に見てくれるのだろうか。願わくば、ほんの一瞬でいいから、「この写真を撮ったのは一体どんなヤツだ?」と思って欲しい。

いい意味だろうと、悪い意味だろうと、それはどちらでも構わない。
Leica M5 + Elmar 3.5cm F3.5 (TX)



2つ目のセムフレックスはSOMベルチオ。

アンジェニューもそうだけど、やっぱり優しいんだな、光が。
Semflex / SOM Berthiot Flor 75mm F3.5 (TMY)



その友人は、サーフィンの最中、波に飲み込まれて凶暴化したサーフボードの先端が顎にヒットして、口の中まで貫通する穴が開いたんだそうだ。

さぞやすっかりサーフィンが恐くなっているのかと思いきや、早くまた海に行きたくてしょうがないと言っていた。

「何かを好きでやる」って、そういうことなんだよな。波が来たらそれに乗る。顎に大穴が開いてようが、足が折れてようが、波が来たら乗る。自分がしたいのは「波に乗る」、ただそれだけ。丘であれこれ考えてたって波には乗れないのだ。

その点、写真を撮るなんていうのは考える時間がいっぱいあるからイカン。あーでもない、こーでもない。ぶつぶつぶつ。

「波が来たからそれに乗る」が如く、被写体がそこにあるから撮る、カメラが手の中にあるから撮る、ただそれだけのことをすればいいのに。
Leica M5 + Elmar 3.5cm F3.5 (TX)



「音楽に内在する論理と自由との結合がうまく発揮された、すばらしい演奏だった」

モスクワのチャイコフスキー国際コンクールの審査員が、優勝した日本の女性バイオリニストの演奏について。

音楽に内在する論理と自由の結合。

確かに音楽にはまず楽譜があって、これは設計図だ。この設計図を無視して演奏することは許されない。

でも、その設計図通りに演奏すれば誰が弾いても同じかというと、これが全然違ったものになったりする。演奏者によって設計図の解釈が違うからだ。逆に言えば、設計図である楽譜に、演奏者の自由な解釈を許容する余地があるということだな。だからそこに「結合」が生まれる。

写真はどうだろうか?

確かに自由は沢山あるな。でも論理(設計図)の部分は何に相当する?写真は自由と何が結合して素晴らしいものになる?

そんなつまらないことを考えているうちはロクな写真は撮れない、というのは小学生でも知っている真理であろうが、つい理屈っぽくなってしまうのは、何かが上手く回っていないから。
Leica M5 + Elmar 3.5cm F3.5 (TX)


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